JGC通訳ボランティアBLOG

2011年6月28日火曜日

6月23日、遠野にて。その2

 慣れない長距離移動。

 普段、私は主婦である。

 普段、私は一職員である。

 俺はぷーである・・・?




そんな人達が気持ちだけでスタートしたのが、JGC通訳ボランティアだったことを思い出した。



狭心症で、薬を服用している60過ぎのロンドン在住の日本人。


ヒンドゥー語が出来ると豪語している年配の方。

年齢は相当上だが、体力的には20歳くらい若いと自負している方。

「僕には何も持っていない、けれど気持ちと体は既に被災地にいます」


はじめの頃は、尋常じゃない状態であったし、皆被災地にココロのベクトルがすべ向いていた。
しかし、今この時間が経過していて、テレビ番組はふつーだし、生活もふつーだし、原発もまた復活しそうだし…?※勿論、被災地以外の基準ですけど。

てか、まだ4か月もたってないのに、なるべく「ふつー」を無理やり実行しようとしているように見える、テレビから見る都会の状況。

私は毎度この被災地と東京のギャップにリハビリが必要な状態になってしまった。

とは言え、2-3日でリハビリ順応してしまう自分も怖い。

今回遠野に来ていただいた二人は宮城・福島からの参戦☆
正直、「自分も被災者でしょ?」という二人が、何か被災地のために少しでも手伝いたい、と手を挙げていただいた希少な方々。

彼らだって、別にお金持ちなわけじゃない。ただ、ただふつうの生活に戻ってほしいと願って、プレッシャーだった通訳ボランティアの第一歩を踏み出していただいた、その気持ちを私達は尊重したい。それが一番の重要度。



遠野の街並みを見ていて、ノスタルジックな、ちょっとタイムスリップした気分のクラシカルな街並みがある。

嘗ての遠野を聞き及ぶには、こんなオシャレな街並みは想像していなかった。遠野物語に始まり、河童伝説、云々…。


でも我に返ってみる。

ここでも震災によって、目に映らない様々な困難がある。

人を通して聞き及ぶものは、感情的になりやすい。
だが、私たちは、その感情的な側面と、世界を物差しに考えたときの基準と、文化の違いと、言葉の違いと、、、色々たくさんの障壁はあるが、最終的には、要するに、、、、!!!


「普通の生活は戻らない。だが、普通の生活に戻りたい。未来の兆しを見つけたい。」


もしかしたら、地震大国日本のなかでは、自分になりうる環境であったかもしれない。
自分だったら、こんな状況見えないまま、落ち着かない生活に我慢ならない!

だから、少しでも私達は、他の人とは違う側面で、できるだけ多くの支援をしていきたいと、心から思います。

早く、少しでも、元通りに近い状況に1mmでも近づくために、縁の下の力持ちJGC通訳ボランティアとして、この活動を続けていきます。


そこの貴方!時間と気持ちの余裕が少しでもあれば、是非にご協力、よろしくお願いします。

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