5月9日~5月19日_タイ王立医療チーム報告
5月9日(月)から5月19日(木)までの約2週間、タイの王立病院から小児科チームが派遣された。
JGC通訳ボランティアより通訳派遣1名にて、この間の対応を実施。述べ福島県内15か所の避難所を回り、避難所の乳幼児の健康管理を目的に対応した。
タイからのチームは、王妃の名前が掲げてあるバンコク駅近くQueen Sirikit National Institute of Child Health よりナリット・ワラナット医師55歳とルンティワー・アサウィナノン看護師55歳の2名。
福島県立医大病院んは、原発関連の避難者に対する医療健康維持を最前線で対応している病院である。
今回のプロジェクトも福島県立医大の元で活動を行った。
【避難所の状況】
全般的には、乳幼児の人数が少ないとのこともあり、緊急を要す対応はなかったことは、幸いである。
市街地に近い避難所と、山間部に位置する避難所とで大きく状況が異なる。主に山間部では、市街地へのアクセスが避難者によって異なるため、微妙に健康状態が異なっている様子。
主に近隣に親戚等がいない、または年配の方はお金を気にして町まで出かけないなどの実態がある。
地域的な人間性もあるようだ。主に「浜っこ」と呼ばれる沿岸部の方々は、比較的明るい感じがしたが、内陸部に行くにしたがって、少し閉鎖的なイメージが取れた。
だが、時間をかけて話をすることによって、コミュニケーションが取れていく。
これは、宮城であろうと福島であろうと、「話す」必要性が高いことを示していることには変わりない。
人を癒すのは人でしかない、そう感じた場面が多々あった。
各避難所は町村毎に分散して避難しており、一次避難者と二次避難者に分かれる。
一次避難者>着の身着のまま避難している方。
二次避難者>ある程度の期間の生活を想定して避難している方。
避難者によって持参しているものが極端に少なかったり、人によってはものが行き届いている人がいる。
おそらくこの格差はなかなか解消されないのではないか?様々な状況が重なり、誰が悪いとは言えない状況でこのような形になってしまっている。
この点は今後も続く大きな課題であると思われる。
【通訳対応】
・専門用語としては、主に小児向けの薬についての日本名と英名の違い。
具体的には、日本名での薬が商品名であることが多く、どのような薬なのかがすぐに分からなかったため、チームが持参する薬のリストを元に対訳表を作成。
成分等についてもナリット医師に説明を求められたため、対応開始後にかなりのリサーチが必要になった。初日以外はほぼスムーズに解消された
・小児科として巡回していたが、「お医者さんが来る」とかなり期待されているところが多かったため、大人の方の対応が大半だった。
前述と同様、薬に関する点が一番難しい点であった。
既に処方されている薬について、追加での処方を希望されている方が多く、現在の健康状態のチェックとそれに合わせた処方箋についての確認作業にて、日本人医師との通訳対応を実施。
細かい診断や、病名・症状名については、日本人医師が英語での対応をしていただいたため、通訳を介さずに直接意思疎通を図っていただける状況にあり、スムーズであった。
・通訳としての主な対応範囲としては、既往歴の問診・震災後の状況や家庭環境等、全般的な「ヒアリング」の際の対応であり、時間的には朝から夕方までと長かったものの、医療専門知識の範囲は比較的少なかったように思われる。
・小児科、産科などの対訳表を持参したものの、殆ど使わなかった。
・タイチームの先生方は興味の範囲が広い→日本の雑誌についてや、車、家、生活形態など等好奇心あふれる方々で、医療以外の分野での通訳については、外務省の方に助けていただいたところがたくさんありました。ありがとうございます。
・方言について→これは主に年配者の対応の際に特化していえることだが、対応者自身宮城・福島での在住経験があったため問題視していなかったが、第三者からすると日本語が一部聞き取りにくいところがあった様子。
今回の災害対応での通訳については、被災地の方言を理解できる通訳者が必要であるという側面も想定しておく必要がある。
【良い話】
・我々チームも情報が不足している中、障害者施設の方がそのままそっくり避難している場所があった。専門外であったにもかかわらず、「お医者さんと話したい人」が行列をなす。
先生たちは、一人ひとりに耳を傾け、カルテに記載していく。その最後の処方箋には「家族の避難場所の連絡先電話番号」。別々に避難して、電話をかけたくてもかけられない状況にあった人に電話番号を教えてあげることが、その人への処方箋だった。
・これから、日本はどう進んでいけばいいか?そんな会話のなかで、日本の良いところとして奈良の大仏の話になる。
「建築途中でもまだ見ぬ大仏像の完成に向けて、途中失敗しても何度も何度も完成させようと作りあげていけるのが日本人ではないか?
それは明るい未来(大仏像)のイメージを作り上げているからこそ出来る力がある。」
・避難所でのおばちゃんたちとの会話。
「いつも家にいたばっかりが、避難所では知らないたくさんの人に会って忙しい。おかげで10年若返ったわ♪」
・3月14日から避難所生活のおじいさん。
「先週おっかんが脳溢血で入院した。見舞いに行きたくても、金がないから遠くの病院まで見舞いに行けない。だからタバコもひと箱から10本に減らした。」
「誰かつれて行ってくれる人を探しましょう」
その避難所をちょうど出ようとした際、息子さんが連絡があって、お見舞いにつれて行ってもらえることになった。
おじいさんの元々の笑顔がもっとにこやかになった。
ものを送るだけが支援ではない。人が人で助けられる、そんな場面が多々あった。
JGC通訳ボランティアより通訳派遣1名にて、この間の対応を実施。述べ福島県内15か所の避難所を回り、避難所の乳幼児の健康管理を目的に対応した。
タイからのチームは、王妃の名前が掲げてあるバンコク駅近くQueen Sirikit National Institute of Child Health よりナリット・ワラナット医師55歳とルンティワー・アサウィナノン看護師55歳の2名。
福島県立医大病院んは、原発関連の避難者に対する医療健康維持を最前線で対応している病院である。
今回のプロジェクトも福島県立医大の元で活動を行った。
【避難所の状況】
全般的には、乳幼児の人数が少ないとのこともあり、緊急を要す対応はなかったことは、幸いである。
市街地に近い避難所と、山間部に位置する避難所とで大きく状況が異なる。主に山間部では、市街地へのアクセスが避難者によって異なるため、微妙に健康状態が異なっている様子。
主に近隣に親戚等がいない、または年配の方はお金を気にして町まで出かけないなどの実態がある。
地域的な人間性もあるようだ。主に「浜っこ」と呼ばれる沿岸部の方々は、比較的明るい感じがしたが、内陸部に行くにしたがって、少し閉鎖的なイメージが取れた。
だが、時間をかけて話をすることによって、コミュニケーションが取れていく。
これは、宮城であろうと福島であろうと、「話す」必要性が高いことを示していることには変わりない。
人を癒すのは人でしかない、そう感じた場面が多々あった。
各避難所は町村毎に分散して避難しており、一次避難者と二次避難者に分かれる。
一次避難者>着の身着のまま避難している方。
二次避難者>ある程度の期間の生活を想定して避難している方。
避難者によって持参しているものが極端に少なかったり、人によってはものが行き届いている人がいる。
おそらくこの格差はなかなか解消されないのではないか?様々な状況が重なり、誰が悪いとは言えない状況でこのような形になってしまっている。
この点は今後も続く大きな課題であると思われる。
【通訳対応】
・専門用語としては、主に小児向けの薬についての日本名と英名の違い。
具体的には、日本名での薬が商品名であることが多く、どのような薬なのかがすぐに分からなかったため、チームが持参する薬のリストを元に対訳表を作成。
成分等についてもナリット医師に説明を求められたため、対応開始後にかなりのリサーチが必要になった。初日以外はほぼスムーズに解消された
・小児科として巡回していたが、「お医者さんが来る」とかなり期待されているところが多かったため、大人の方の対応が大半だった。
前述と同様、薬に関する点が一番難しい点であった。
既に処方されている薬について、追加での処方を希望されている方が多く、現在の健康状態のチェックとそれに合わせた処方箋についての確認作業にて、日本人医師との通訳対応を実施。
細かい診断や、病名・症状名については、日本人医師が英語での対応をしていただいたため、通訳を介さずに直接意思疎通を図っていただける状況にあり、スムーズであった。
・通訳としての主な対応範囲としては、既往歴の問診・震災後の状況や家庭環境等、全般的な「ヒアリング」の際の対応であり、時間的には朝から夕方までと長かったものの、医療専門知識の範囲は比較的少なかったように思われる。
・小児科、産科などの対訳表を持参したものの、殆ど使わなかった。
・タイチームの先生方は興味の範囲が広い→日本の雑誌についてや、車、家、生活形態など等好奇心あふれる方々で、医療以外の分野での通訳については、外務省の方に助けていただいたところがたくさんありました。ありがとうございます。
・方言について→これは主に年配者の対応の際に特化していえることだが、対応者自身宮城・福島での在住経験があったため問題視していなかったが、第三者からすると日本語が一部聞き取りにくいところがあった様子。
今回の災害対応での通訳については、被災地の方言を理解できる通訳者が必要であるという側面も想定しておく必要がある。
【良い話】
・我々チームも情報が不足している中、障害者施設の方がそのままそっくり避難している場所があった。専門外であったにもかかわらず、「お医者さんと話したい人」が行列をなす。
先生たちは、一人ひとりに耳を傾け、カルテに記載していく。その最後の処方箋には「家族の避難場所の連絡先電話番号」。別々に避難して、電話をかけたくてもかけられない状況にあった人に電話番号を教えてあげることが、その人への処方箋だった。
・これから、日本はどう進んでいけばいいか?そんな会話のなかで、日本の良いところとして奈良の大仏の話になる。
「建築途中でもまだ見ぬ大仏像の完成に向けて、途中失敗しても何度も何度も完成させようと作りあげていけるのが日本人ではないか?
それは明るい未来(大仏像)のイメージを作り上げているからこそ出来る力がある。」
・避難所でのおばちゃんたちとの会話。
「いつも家にいたばっかりが、避難所では知らないたくさんの人に会って忙しい。おかげで10年若返ったわ♪」
・3月14日から避難所生活のおじいさん。
「先週おっかんが脳溢血で入院した。見舞いに行きたくても、金がないから遠くの病院まで見舞いに行けない。だからタバコもひと箱から10本に減らした。」
「誰かつれて行ってくれる人を探しましょう」
その避難所をちょうど出ようとした際、息子さんが連絡があって、お見舞いにつれて行ってもらえることになった。
おじいさんの元々の笑顔がもっとにこやかになった。
ものを送るだけが支援ではない。人が人で助けられる、そんな場面が多々あった。
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